神戸のジャズ・ファンの熱心さは世界のどこにも見当たらない

神戸の街は、震災後見違えるばかりの復興をみました。

しかし、三宮から山手に向かっての北野町の界隈は、震災前と変わらないチョッとレトロな魅力に満ちた神戸らしいたたずまい。秋10月、金木犀の花の香りが漂ってくると、神戸のジャズの季節です。そして、この街のジャズは、38年前に神戸ジャズストリートが始まった頃と少しも変わりません。

それは第二次大戦後から同じスタイルのジャズを受け継いで生きたからです。ジャズは日進月歩といわれますが、神戸は違います。クラシック・ジャズというかオーソドックスなジャズを守り続けています。

いまのアメリカに失われている伝統のジャズが<神戸ジャズストリート>のメインのジャズで、そこがヨーロッパのジャズ・シーンと似ている点です。今年も、そのヨーロッパから優れたジャズメンたちがやってきます。

彼らは言います。「神戸のジャズ・ファンの熱心さは世界のどこにも見当たらないくらいだ!」と。そのファンの熱意にこたえて、彼らの演奏にはより一層の力がこもり、神戸でしか聴かれない素晴らしいジャズを演じてくれます。

<神戸ジャズストリート>のプログラムで人気がありますのは、海外からのミュージシャンと日本のミュージシャンの競演です。それもプロ、アマチュアの区別なく、自由な組み合わせが楽しいという声が圧倒的に多いのです。デキシーランやスイングなど伝統的なジャズだけでなく、スタンダード曲やちょっとモダンな曲も。コンボだけでなくビッグバンドも。各会場とも多彩なプログラムが展開されます。お好きな会場をハシゴしてください。

「ジャズストリートって、神戸から生まれたの?」

これはファンの方から、よく聞かれます。その答えの前に、ジャズが生まれたニューオリンズの街の中で、有名な通りの名を思い出してください。

そう、ベーズンストリートに、バーボンストリート、バーガンディストリートなど。これらはジャズの題名でご存知でしょう。

ではニューヨークの街では? ここの通りの名はみんな数字で呼ばれています。分かりやすくていい面もありますが、中心の5番街を南北に、東西に走る通りにも味気ない数字でよばれています。

1930年代にジャズのナイトスポットが軒を連ねていましたのは52丁目です。そこのナイトスポットには有名なジャズメンが毎夜出演していたもので、店も有名になったのでしょうけれど・・・。

その頃、ジャズ・スポットに好んで通うジャズ・ファンたちが交わす言葉がありました。「どう、今夜ストリートへ行ってみない?」。そうです、ストリートというだけでジャズを聴きに出掛けることでした。ところが今はもう昔日の面影もなく廃れきってしまい、同時に「ストリートへ行こう」という合言葉も聞かれなくなったようです。

さて、ここから神戸の話になります。神戸の繁華街の三宮、元町から北に向かって山手地域は古くから外国の領事館があったり、外国人が多く住みついている住宅地域でした。

1977年にNHKの朝のテレビ小説「風見鶏」がきっかけになって、お洒落な店が並ぶようになり、ジャズを聴かせるライブハウスの看板も見られるようになりました。

その中心は中山手通、山本通、北野町という地域ですが、これらは東西に長く延びていて、人々が上下する坂道には名称がないという不思議なところです。

東から不動坂、北野坂、ハンター坂、そして古くからあったトアロード(Tor road)と。このトアロードも誰がつけたのか、また説はいろいろとあります。

でもこの坂の上がりきったところに<東亜ホテル>が明治の頃からあって、また、ここが神戸のジャズ発祥の拠点となって、大正のころは社交ダンスに夢中になっていたモガ・モボが通い慣れた坂道と聞きます。

そうそう北野坂は阪急の三宮の北側から山手に向かっての道ですが、その途中までは坂の傾斜もないのに北野坂と名付けたのはおかしいと言い出した人がいました。

38年前、ここでスタートした<神戸ジャズストリート>の初代実行委員長の末廣光夫が約1キロにわたる北野坂を<Jazz Street>と名付けようと言い出し、そのうちそれが通り名になってきました。パレードが始まったのは震災の年でしたので、その13年後のことです。

今、このストリ-トの石畳の歩道には<Kobe Jazz Street>のプレートが8枚、しっかりとはめ込まれています。見知らぬ旅人にも<ジャズストリート>の本家本元はここにありと静かに足元から告げているように・・・。