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ストリートへ行こう(末廣光夫のジャズエッセイ)


 
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ストリートへ行こう 末廣光夫のジャズエッセイ
2009/11/9更新

 

 

ジャズエッセイ

ブラジル移民100年にちなんで・・・
右近雅夫が神戸の街に帰ってくる!

2008/07/07

 「右近雅夫?誰のこと?」そういう方もあるでしょうね。
 「聖者の行進」という、あの有名な曲を日本で最初に演奏したのは、プロのバンドではなく、アマチュアのしかも関西の学生バンドでした。K.G.ハートウオーマーズ、そう今のオリジナル・ディキシーランド・ハートウオーマーズの前身です。そのリーダーが右近雅夫でした。

 その彼を一躍有名にしたエピソードがあります。
昭和28年12月19日のこと、この日はジャズの神様と言われたルイ・アームストロングが神戸の聚楽館にやってきて神戸のジャズファンに本場のジャズを聴かせてくれた、忘れることの出来ない日です。
  昼間の公演が終わって、興奮冷めやらぬ僕のところへ、右近雅夫がレコードを小脇にはさんでやって来ました。「新しいレコードが出来たので、プレゼントします。」と言う彼の言葉を聞いて、傍らにいたジャズ評論家の油井正一さんが即座に言いました。「末廣君、これをルイ・アームストロングに聴かせてみようよ。どこかに蓄音機を貸してくれる所はないかなあ。このレコードを持って、ルイの楽屋を訪ねるんだ。」
  運良く聚楽館の近くに知り合いの楽器店があったので、僕は事情を話して手回しのポータブル蓄音機を借り受け、早速3人でルイの楽屋を訪ねました。

 アームストロングは冬だというのに、上半身裸でくつろいでいましたが、我々を快く楽屋に迎え入れてくれました。
 早速、右近雅夫が持参したレコード、ハートウオーマーズの<Tin Roof  Blues>に針をのせました。出来上がったばかりですから僕達も初めて聴くわけで、アームストロングがどんな表情を見せるのか、右近だけでなく全員がほんとうに緊張しました。
  時間にして3分そこそこの演奏の間、アームストロングはあの大きな目を凝らして真剣に聴き入っていましたが、「もう一度聞かせてくれ。」とのリクエストです。再び、まるで御前演奏といった感じの緊張の3分間が過ぎたあと、「これは、マグシー・スパニアか?」「ノー、ここにいる青年、右近雅夫の演奏です。」
 するとその途端、立ち上がったルイ・アームストロングは、‘Oh, My Boy!’ という力強い言葉とともに、右近雅夫を引き寄せて大きな身体でしっかり抱きしめました。
 日本の若者、右近雅夫が、ジャズの神様に祝福された、まさに世紀の瞬間でした。
  このレコードは、早速、次の日曜日にラジオ神戸のジャズ番組で、そのときの興奮そのままの詳しい解説と共に放送されました。また、このニュースは東京にも伝えられて、神戸に右近雅夫という名手あり、と一躍全国的に知られるようになったのです。

昭和30年8月11日
神戸海員会館
右近雅夫 お別れコンサート

 しかしその2年後、右近の一家はブラジルに移り住むことになり、昭和30年8月11日に、神戸の海員会館で「お別れコンサート」が開かれて、我々は遠いブラジルへ旅立つ彼を涙で見送りました。

 それから53年、ブラジルで立派な事業家として成功した人生を送りながら、現地のミュージシャン達と精力的な演奏活動を続けている彼は、毎年新しいCDを送って来てくれます。その間4回ほど帰国して、神戸ジャズストリートにも出演してもらったことがあります。
 昨年はヨーロッパへ旅するというので、5月のブレダ・ジャズ・フェスティバルに立ち寄ってもらい、ブラジル人の奥さんとも初めてお会いしました。
 今回は小学校の同窓会で、親しい仲間達と「喜寿」のお祝いをすることになっているようです。

 日本とブラジルの友好関係を祝う記念すべき今年、神戸のジャズの生きた文化遺産とも言うべき右近雅夫氏に、ぜひ神戸ジャズストリートに顔を出して貰って、健やかな喜寿を祝い、力強い演奏を聴かせてもらおうと思っています。

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