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ストリートへ行こう(末廣光夫のジャズエッセイ)


 
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ストリートへ行こう 末廣光夫のジャズエッセイ
2009/11/9更新

 

 

ジャズエッセイ

オランダのジャズと手を結んだ訳は...

 

その昔(1935年)コールマン・ホーキンスが初めて渡欧して、英国からオランダを経由して、ドイツにツアーをしようとしたところ、折からのナチ政権下で入国できなくて、暫くはオランダに滞在していた。これを一隅のチャンスと見てオランダの<ザ・ランブラーズ>というバンドは、ホーキンスを迎えてレコーディングをした。この一連のレコードはコレクターの間でも名盤とされているが、オランダのジャズは、これよりも10年早く、技量もなかなかのもので、1942年に<ビクトリア・バンド>が、その始まりとされている。

ところで、驚くことに<ザ・ランブラーズ>にしても<ビクトリア・バンド>も、いまもその名を継いで現存していることだ。これは世界でもオランダだけのことだ。

こういうジャズに対して伝統のある国、そして、この国で毎年5月の「昇天祭」から4日間にわたって行われる<ブレダ・ジャズ・フェスティバル>は、そのポリシーといい、ジャズに取り組む姿勢が<神戸ジャズストリート>にちかいことを知った。そして1995年から交流が始まり、その手始めとして日本のジャズメンを<ブレダ・ジャズ・フェスティバル>に出演させると同時に、秋にはオランダからもジャズメンを迎えるという、これが今年で8年になるわけだ。中でもブレダでの呼び物は「神戸・ブレダ・ジャズ友好賞」の発表で、その副賞として、その年の秋に<神戸ジャズストリート>に招聘している。

 <神戸ジャズストリート>の観客は、男性よりも女性ファンが上回っているのは、多分に若くてハンサムで、しかも活きのいいオランダのミュージシャンたちの演奏に所以しているからだろう。

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