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ストリートへ行こう(末廣光夫のジャズエッセイ)


 
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ストリートへ行こう 末廣光夫のジャズエッセイ
2009/11/9更新

 

 

ジャズエッセイ

ジャズの中心はアメリカと言っていたのは遠い昔のこと。いまは?

 

1970年の半ば頃、日本のレコード会社が競って毎月ジャズ・レコードをシリーズでリリースした時期がありましたが、それですべて出尽くしたのか、その後リリースは減少し、それと同時にジャズファンも減少の一途を辿ってきたようです。これは一つにはミュージシャンもファンも高齢化してきていることも関係しているでしょう。
では本家のアメリカではどうでしょう。数年前のことですがアメリカを訪れているとき、ダウンタウンのジャズクラブがどんどん店を閉めているという話を聞きました。飲酒運転の取締りが厳しくなり、車が無くては移動出来ないアメリカの人達は、街のナイトスポットに立ち寄れなくなったのです。アマチュアのジャズクラブのミーティングも同様で、日本以上に状況は厳しくなってきているようです。

ついでに言いますと、彼らの楽しみかたは、演奏が始まると同時にアンブレラをかざしてダンスを始めます。ミュージシャンはすぐさま彼らに迎合してダンサブルな演奏をします。これではジャズを音楽として楽しみたいファンはこれでは欲求不満になってしまいます。
以前、神戸ジャズストリートの前夜祭でも、あれはオーストラリアの<ホッター・ザン・シックス>だったでしょうか、トランペット3本でルイ・アームストロングの名曲を無伴奏で始めたとたん、ダンス・クラブの人達がステージの真ん前で踊りだしたことがあります。ミュージシャンたちにとって高度な集中力が要求される野心的な演奏なのに、その前で傘を拡げて踊るというのはあんまりなので、やめてもらったことがありましたが、ダンスもいいですが時と場合を考えて、ということでしょう。

  そこで神戸ジャズストリートの私たちが目指しているのは、ダンスしなくても思わず聴き入って愉しんでしまうジャズをどんどん紹介することです。

  以前にもお話したかと思いますが、今年もやってくる<エイセス・オブ・シンコペイション>を日蘭修好400年記念のプログラムのために初めて招いたのは1998年でしたが、ある満員の会場で、いつもはロックかポップスしか聴いたことのないような若者が、「こいつら、メッチャうまいやん。」と口走ったのを耳にしました。あの会場は多分そうした、あまり先入観を持たないお客が多かったのでしょう。今までジャズのレコードを聞いたことが殆どなく、自分の耳で聴いて、「これは良い」と認めてくれる人達がいる,という事実を私たちに認識させてくれた出来事でした。

大手のレコード会社がジャズレコードのリリースを止めてしまっても、我々が優れたミュージシャンを海外から連れてくればファンがついてきてくれる。そう確信して、ヨーロッパへ出かけて行くと、いるんですねえ、若いのにジャズをまじめに研究して、それを高い技術で演奏で再現してくれる優れたミュージシャンたちが。ヨーロッパ出身とは限りません。アメリカの優秀なミュージシャンたちも、広い大陸を延々移動するよりもヨーロッパの各地をツアーする方がいいと、どんどんヨーロッパのフェスティバルへやって来ます。その中から選んで、今一番イキのいい人達を神戸に連れて来るのです。そして若いファンはミュージシャンの演奏する複雑なリズムに合わせて手拍子を愉しみ、レコード会社の宣伝係のような感があるジャズ評論家の講釈抜きで、若い感性で、ジャズをストレートに受け止めてくれるのです。
一方で海外から神戸を訪れるミュージシャン達のファンに対する評価も、最高点が付いています。「世界の何処と比べても、神戸の皆さんのジャズを愉しむ姿勢は素晴らしい。」という言葉は世界のフェスティバルを知る私たちから見て、決してお世辞とは思えません。

  こうしてみますと、どうやら、神戸ジャズストリートのファンは最近ますます、ニューオリンズ・リバイバルのジャズを大切に守り続ける昔ながらのファン層から、神戸ジャズストリートで初めて海外からのミュージシャンの魅力に触れて、新しくジャズの愉しさに目覚めた若いファンまで、幅広い年齢層に展開してきているようです。こうしたファンの色々な要望に応えることが、今までも、これからも、私をはじめ、神戸ジャズストリートの実行委員全員の生き甲斐です。

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